緒方貞子(おがた さだこ)
さんが亡くなり、大変話題になっています。
国連難民高等弁務官や国際協力機構(JICA)の理事長として大活躍され、「難民と共に生きた」のフレーズで知られる超有名な方です。
ただ“緒方貞子”と聞いて、一体どんな人物なのか?すぐにわからない人も多いはずです。
そこで、緒方貞子さんの経歴や家族構成、また彼女が成し遂げた偉業などを一挙に紹介していきます。
緒方貞子(おがた さだこ)のプロフィール
- 氏名:緒方 貞子(おがた さだこ)
- 生年月日:1927年9月16日(92歳没)
- 出身地:東京都東京市麻布区(現在の東京都港区麻市)
- 職業;国際学者、上智大学名誉教授
外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一さんと、恒子夫妻の長女として生まれます。
幼少期は父親の転勤で、アメリカ・サンフランシスコ、中国・広東省、香港などで過ごし、小学5年生の時に日本に帰ってきたので帰国子女です。
緒方貞子さんといえば、曽祖父が元内閣総理大臣の犬養毅(いぬかい つよし)さんというのは有名な話です。
もう見てわかるとおり、生まれも育ちも一般人とはかけ離れていることがわかります。
ちなみに“貞子”と名付けたのは犬養毅さんだそうです。元内閣総理大臣から名前を命名されるなんて…凄すぎます。
緒方貞子の経歴
緒方貞子さんは見るからに高学歴そうですけど、彼女の経歴をわかりやすく解説すると以下の通りです。
- 聖心女子大学(文学部)を卒業
- 米国ジョージタウン大学(大学院)で修士号を取得。
- カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。
さすがは超エリートなので大学を卒業後に大学院まで進み、修士号⇒博士号まで取得されています。
ちなみにカリフォルニア大学バークレー校は世界トップ大学ランキングで5位に入る超頭の良い大学で、アメリカの州立大学の中でも最難関と言われているぐらいです。
その大学でマスター(博士号)を取っているわけなので、緒方貞子さんの頭が良すぎるのは経歴を見れば一目瞭然です。
カリフォルニア大学バークレー校出身の日本の著名人でいえば、
- 孫正義(ソフトバンク代表取締役)
- 外池徹 (アフラック元代表取締役)
こんな方々が有名です。
あの孫正義さんも同じ大学を卒業されていたんですね。
あらためて緒方貞子さんの凄さがわかりました。
緒方貞子の夫や子供など家族構成
緒方貞子の夫は緒方四十郎(おがた しじゅうろう)さんで、86歳のときに亡くなりました。
元日本銀行の理事を務めた、これまたすごい方なんです。
緒方四十郎さんの家系図もすごく、朝日新聞社副社長や自由党総裁、副総理をつとめた緒方竹虎(おがた たけとら)さんの三男であることは有名です。
もちろん経歴もすごく、緒方四十郎さんは東大(法学部卒)を卒業されています。
また緒方貞子さんには一人息子がいて、名前は緒方篤(おがた あつし)さんです。
緒方篤さんは映画監督として活動されていますので、一度ぐらいは耳にしたことがあるかもしれませんね。
緒方篤さんの顔写真はコチラ。
映画デビュー作の「脇役物語」とか、一時期話題になりました。
ちなみに予想通りの展開でしたけど、息子さんも超高学歴です。
なんと世界一番頭の良い大学であるハーバード大学を卒業後、大手コンピューターメーカー「富士通」にてソフトウェアの研究者として勤務されています。
その後、芸術を学びためにマサチューセッツ工科大学(MIT)修士課程(大学院)でビデオアートを学び、映像作家、監督としてヨーロッパ、日本、アメリカを舞台に活躍してきたんだとか。
幼い頃からビデオアートの分野にまったく関心のなかった緒方篤さんが、ビデオアートの世界に踏み入るキッカケになったのは友人のある言葉からでした。
アメリカ人の友人が緒方篤さんの撮った写真を見て、「才能があるよ」と言ってくれたことでビデオアートの世界に興味を持ち始めたようです。
意外に単純な理由でしたけど、そこで初めて自分の感性を使って仕事がしたい、試してみたいという気持ちが強くなり、芸術的なことを学ぼうと大学院に通われて今では社会で大活躍されています。
緒方貞子の偉業【女性社会を切り開いた先駆者】
緒方貞子さんの死去がこれほど話題になっているのは、彼女が偉大な人だからです。
今どきの若い人たちからすれば、緒方貞子さんが一体どんな偉業を成し遂げたのか?よくわからないのではないでしょうか?
まず緒方貞子さんは日本人として初めて国連難民高等弁務官に就任し、難民問題などに力を尽くしてきた方で超有名なんです。
国際協力かいわいでは知らない人はいない、というぐらい超有名な方で、現場にこだわった姿勢と情熱は後に続く人たちに強い影響を与えました。
緒方さんが率いた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR 本部スイス・ジュネーブ)は、世界で増え続ける難民への支援が主な役割で、人命を救うという意味で最も重要な国連機関の一つです。
国連の高等弁務官時代は時には危険を顧みず、難民のために激務をこなしていたので、当時、緒方貞子さんの仕事っぷりに感動した人も多かったのです。
まとめると...
日本人の女性で「これほど平和に貢献した人間はいない」ということです。
また真のリーダーシップを発揮できた逸材だと組織内でも大変評価されており、人望も厚く、周りの協力を得てJICAの理事長など多くの組織運営を成功におさめました。
現在、国連難民高等弁務官を務めるイタリア出身のフィリッポ・グランディ氏も緒方さんが高等弁務官だった当時に特別補佐官、官房長として仕えた方で、緒方さんの背中をみて学んだようです。
さらに緒方貞子さんといえば、女性が世界で活躍する場を切り開いた先駆者としても知られています。
女性の社会進出がまだまだ難しかった時代に、あれほど活躍されていろいろと苦労があったと思いますけど、これほどの偉業を成し遂げている方なので、やっぱりとんでもない人物なんです。
それこそ曽祖父と同じように総理大臣になってもおかしくなかった人物だと言われ、いまでも「緒方貞子さんに総理大臣になってほしかった」と語られています。
今回は緒方貞子さんの経歴や過去の偉業などを紹介しましたけど、いかがでしたか?
生涯素晴らしい仕事をなさった方で、こうやって経歴とか仕事っぷりを見ているといかに凄い人だったかが改めてわかったのではないでしょうか?
難民と共に生きた、日本が誇る女性の1人です。
最後になりましたけど、心からお悔やみ申し上げます。