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中森明菜の生い立ちや家族との確執を細かく解説!歌姫の知られざる裏事情

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中森明菜さんといえば昭和を代表する歌姫ですけど、その裏では度重なる苦労の連続で一般人には想像もつかない地獄みたいな経験をされています。

中でも「家族との確執話」って有名じゃないですか。

中森明菜さんは一体どんな家庭に生まれ育ち、アイドルとして大ブレイクしたあと、なぜ家族と絶縁になったのか?

中森明菜さんと家族のエピソードについて紹介していきます。

 

 

中森明菜の生い立ちが壮絶すぎる件

中森明菜さんってスタイル抜群でルックスもいいし歌も上手い。

きっと美人な母親のもとに生まれて、幼い頃から英才教育を受けてきた「持っている女」だったんだろう…

きっとこのように感じている、思っている人は多いかと思います。

ただ実際は180度違い、とてもじゃないけど裕福とはいえない家庭で生まれ育っています。

中森明菜さんは6人兄弟(男2女4)の5番目の三女として生まれ、1965年7月13日に東京都大田区で生まれて、その後は清瀬市に引っ越します。

中森明菜さんが生まれた頃ってちょうど高度成長期で、日本経済が急速に発展していた時期なんですけど、彼女は裕福な家庭に生まれ育つこともなく、ましてや6人も子供がいてお金もかかり子供時代は極貧に苦しめられたようなんです。

今の子供でいえば、テレビゲームやスマホを買い与えられるなんて皆無です。

保母さんの夢を諦めてアイドルを目指す

小学生に入学した1年生のとき、中森明菜さんはお母さんの夢を実現するため「歌手になりたい」と作文に書きます。

ただ同時に、子供が大好きで保母さんにもなりたかったようなんです。

幼い頃から貧しい暮らしを送っていたからなのか、他の子供よりも大人びていた彼女は「アイドルという世界がとてつもなく厳しい世界」であることを肌で感じ、母親の夢を自分が叶えたいと思う一方で「やはり現実的じゃない」という冷静さもあったので、最終的には保母さんになるという夢を諦めます。

とにかくお金を稼いで家族を楽にさせなければいけない。

そこで一念発起して「アイドルの道」を選んだのです。

お金を稼げるのはタレントしかない、と子供ながらにして思っていたそうです。

アイドルデビューを目指したのは母親の夢を叶えるためであるのはもちろん、極貧生活から抜け出すためでもあったんです。

もし仮に、中森明菜さんがごく一般的な中流家庭に生まれ育っていたら、きっとアイドルではなく安全パイの保母さんという職業を選んでいたはずです。

なんでもデビュー当時はふっくらしていてお世辞にも天才肌とはいえなかったみたいですけど…きっと彼女の覚悟を神は見ていたのでしょう。

 

アイドルとしてトップに上り詰める

中森明菜さんといえば松田聖子さんと並んで1980年代を駆け抜けたトップアイドルです。

アイドル全盛期とも呼べる1980年にデビューし、セカンドシングル「少女A」でいきなりの大ブレイクを掴み、一気にトップアイドルの座に上り詰めました。

あの歌声や佇まいが1970年代を駆け抜けた伝説のアイドルである山口百恵さんに似ていることから、いつしか「昭和の歌姫」と呼ばれるようになり、シングル25曲のほとんどがチャート1位を獲得するという今でも信じられないような記録をつくっています。

気になる全盛期の収入も、なんと歌唱印税だけで約1億円ぐらいあったようなので、幼少期の極貧時代には考えられないようなマネーを10代という若さで手に入れたのです。

ただ神様は少しだけ意地悪で、あまりにお金が集まりすぎたのが悪かったのか…せっかく苦労して手に入れた栄光の先に待っていたのは度重なる苦労の連続でした。

 

 

度重なる不幸の連続、そして家族との確執へ

中森明菜といえば近藤真彦さんとのもつれ合いにより自殺未遂とか有名ですけど、じつは恋愛以外に彼女を悩ませていたことがあったんです。

家族との関係です。

家族のためにアイドルとして駆け抜けてきたのになぜ家族ともめていたのか?

大きな原因はお金です。なんとなく想像できるかもしれませんけど、中森明菜さんの稼ぎを家族がごっそりと勝手に使っていた、頼りにしすぎていた、ということです。

売れに売れまくった関係でただでさえ周りには「自分を利用してお金を稼ごう」と思っている人しかないのに、それに度重なって最愛の人とは破局し、もっとも身近な家族からもお金をもぎ取られる…

実際、過剰に反応していた部分はあったと感じます。

当時は精神的に追い詰められて頭の中もグチャグチャで冷静になるとか出来なかったでしょうし、家族さえも裏切るんだ、という思いが駆け巡り、いつしか家族とも距離を置こうという考えで頭の中がいっぱいいっぱいになる。

そして、中森明菜さんはごく自然に家族とは絶縁状態になってしまいました。

これは中森明菜さんの親族と名乗る女性の証言なんですけど…

「実は、明菜の母親の葬儀以来、明菜と私たち家族は今日までずっと音信不通で、一度も会えていないんです」

一度も連絡を取っていないってとてもじゃないですよね。

で、調べていると…この家族との絶縁状態が本格的に始まったのって、1995年の母親(千恵子さん)の死からと言われているんです。

断絶は母親の“遺言”だったかも

中森明菜さんの母親のお墓にはある重大な“秘密”が隠されているようなんです。

調べてみて驚いたのは、この墓は“中森家”の墓ではないということ。母親(千恵子さん)が生まれた実家の墓のようなんです。

中森家に嫁いだはずの千恵子さんが、実家の墓に入っている…。

なんでもお墓のことは生前、母親(千恵子さん)が自分から言い出したことのようで、あまりに意思を曲げないから最後は言い分を受け入れたんだとか。

昔から『父親が眠る墓に一緒に入りたいから、中森家じゃなくて実家の墓に入りたい』と言っていたようです。

これに対して以下のようなコメントがあり、

「繊細な明菜ちゃんは、そのお墓のことが胸につかえているのかもしれませんね」

たしかに一理あると感じました。

というのも、中森明菜さんは“お母ちゃん命”でしたし、病院にも何回も見舞いに行っていたようですから。

さらに以下なようなコメントもあったんですけど、

明菜がもっとも頼りにしていた千恵子さんが、死の直前、家族との“別離”を選んでいたという衝撃の真実。もしそうだとすれば、明菜と家族の“断絶”の本当の原因は、この千恵子さんの“遺言”にあったのかもしれない。

“お母ちゃん命”だった中森明菜さんにとって母親が選んだ道は「自分が歩みべき道」だと捉えるはずです。

もともと母親の夢を叶えるためにアイドルになったわけですし、深く考えずにただただ母親のあとを追って家族との距離をとったとしても何ら不思議なことではないです。

 

今回は中森明菜さんの衝撃の生い立ちや家族との確執について調査しましたけど、いかがでしたか?

かつてトップアイドルという地位に上り詰めた歌姫にこんな過去があったのかと少しビックリした人も多いはずです。

たとえ親族という間柄でも「お金」が絡むと、最後は絶縁するというリアルな話でした。

お金ってホントに怖いですよね…

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