服部剛丈さん射殺事件のその後|友人ウェブさんの死と犯人は今?

1992年のハロウィン。アメリカに留学していた16歳の日本人高校生が、パーティー会場と間違えて訪ねた家で銃撃され、命を落としました。

犠牲になったのは、愛知県立旭丘高校の服部剛丈(はっとり・よしひろ)さんです。

事件から34年となる2026年、SNSでは当時一緒にいた友人ウェブ・ヘイメーカーさんのその後も注目されています。ウェブさんは2022年、46歳で亡くなっていました。

あの夜、何が起きたのでしょうか。発砲した男性の裁判、ウェブさんが歩んだ人生、そして服部さんの両親の現在まで振り返ります。

目次

服部剛丈さん射殺事件はなぜ起きた?

1992年10月17日、米ルイジアナ州バトンルージュ近郊。交換留学生だった服部さんは、ホストファミリーの息子ウェブさんとハロウィンパーティーへ向かいました。

服部さんは映画『サタデー・ナイト・フィーバー』をイメージした白い衣装姿。ところが2人は会場を間違え、別の家の玄関を訪ねてしまいます。

家の女性は2人を見て扉を閉めました。間違った家だと気づいた2人が立ち去ろうとしたとき、女性の夫ロドニー・ピアーズ氏が拳銃を持って現れ、「Freeze!(動くな)」と叫びました。

服部さんはその警告を理解せず、パーティーに来たことを伝えようとして近づいたとされています。ピアーズ氏は服部さんの胸を撃ちました。

ウェブさんは助けを求め、救急隊が到着するまで服部さんの傷口を押さえていたと報じられています。しかし服部さんは搬送中に亡くなりました。

武器を持たず、友人とパーティーを楽しみにしていた16歳の少年。住所を間違えたことが、あまりにも悲しい結末につながりました。

撃ったロドニー・ピアーズ氏はなぜ無罪になった?

ピアーズ氏は故殺罪で起訴されましたが、1993年の刑事裁判で陪審員は無罪の評決を下しました。

ピアーズ氏側は、服部さんを危険な侵入者だと思い、家族を守るために発砲したと主張しました。刑事裁判では、その正当防衛の主張が認められた形です。

一方、服部さんの両親が起こした民事裁判では、1994年に約65万ドルの賠償が命じられました。裁判所は、家族を守るために殺害する必要はなかったと判断しています。

刑事裁判で無罪でも、民事裁判では責任が認められる。この違いも事件が長く語られる理由の一つです。

犯人の現在は?賠償金は支払われた?

ピアーズ氏は無罪評決後、服部さんの両親に謝罪の言葉を述べ、銃を手放す意向を示しました。ただ、その後実際に銃を所有しなかったかどうかは明らかになっていません。

2026年時点の生活や活動についても、広く裏付けられた近況報道は見当たりません。

賠償については、2022年の米メディア「The Trace」の取材で、両親が受け取ったのは住宅保険から支払われた10万ドルのみだったと報じられています。

一緒にいたウェブ・ヘイメーカーさんは2022年に死去

今回SNSで改めて注目されたのは、服部さんと一緒にいたウェブ・ヘイメーカーさんの人生です。

事件当時、ウェブさんも16歳。友人が目の前で撃たれ、必死に救命を試みた少年でした。

米メディア「The Trace」が2022年11月に掲載した遺族や知人への取材記事によると、ウェブさんは同年3月2日、46歳で自死により亡くなっています。

事件後は子どもの心を支える仕事へ

ウェブさんは事件後、音楽や文章を書くことに取り組みました。大学卒業後は英国で文章を学び、その後コロンビア大学でソーシャルワークの修士号を取得しています。

心理療法士として子どもたちの支援に携わり、2018年にはルイジアナ州へ戻ってニューオーリンズで活動していました。

母親は取材に対し、事件による心の傷と向き合ってきた経験が、心理療法の道へ進むきっかけになったと語っています。

長年抱えていたサバイバーズ・ギルト

遺族や知人の証言では、ウェブさんは長年「サバイバーズ・ギルト」に苦しんでいました。自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱く心理状態です。

つらい記憶をいったん心の奥にしまっても、再び苦しさが戻ることがあったといいます。

ただし、自死には複数の要因が関わります。1992年の事件だけを死の原因とするのは適切ではありません。

それでも、事件の影響が銃撃された本人だけでなく、そばにいた友人の人生にも長く残っていたことを、遺族の証言は伝えています。

服部剛丈さんの両親は現在も活動を続けている

父・政一さんと母・美恵子さんは、事件後に銃規制を求める署名活動を始めました。日本では約170万人分の署名が集まり、当時の米大統領ビル・クリントン氏にも届けられています。

1993年には銃購入時の身元確認を定めるブレイディ法が成立しました。法案自体は事件以前から議論されていましたが、服部さんの事件は銃規制を求める世論を強めるきっかけの一つとなりました。

両親は2022年、銃規制運動の第一線から退く意向を示しました。一方で、留学生を支える「YOSHI基金」は現在も続いています。

YOSHI基金では34人のアメリカの高校生を支援

YOSHI基金は1993年、服部さんの保険金を原資に設立されました。銃のない日本社会をアメリカの若者に体験してもらい、文化の違いを乗り越える交流につなげることが目的です。

運営に携わるAFS日本協会によると、1994年から2025年までに34人が奨学金を受け、日本で生活しました。

2025年度の留学生も服部さんの母校・旭丘高校を訪問し、両親の自宅に滞在して交流しています。

2025年には匿名の「足長爺」から1000万円

2025年10月31日、服部さんの母・美恵子さんは自宅の庭に置かれた新聞紙包みを見つけました。

中には現金1000万円。「YOSHI基金に使って下さい」と書かれ、「足長爺」と名乗る匿名の人物からの寄付でした。

当時、基金は残高の減少に悩み、継続のために寄付を呼びかけていたところでした。

AFS日本協会が2026年3月12日に発表した内容によると、この1000万円を含め、同年3月1日までに集まった寄付は1537万円を超えました。

34年前の事件を忘れず、若者たちの交流を支えたいと思う人が今もいる。そのことが伝わってくる出来事です。

事件から34年、ハロウィンに思い出される理由

服部さんが楽しみにしていたのは、アメリカで友人と過ごすハロウィンの夜でした。

ところが、家を間違えたことをきっかけに命を奪われ、友人や家族の人生も大きく変わりました。

刑事裁判での無罪評決、友人ウェブさんが長年抱えた心の傷、そして両親が続ける国際交流活動。事件のその後には、当時のニュースだけでは見えてこない長い時間があります。

ハロウィンの季節にこの事件が再び語られるのは、服部さんが失った未来と、残された人たちが歩んできた年月を思い起こす機会にもなっているからかもしれません。

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