多田野数人のビデオ出演騒動とは?ドラフト指名漏れの理由と現在

元日本ハムの投手・多田野数人さんが、2002年のドラフト直前に起きたビデオ出演騒動について、24年を経て振り返りました。

2026年10月31日公開のNumber Webのインタビューでは、プロ入りを期待されながら指名漏れとなった当時の心境や、アメリカで再起するまでの出来事を語っています。

そもそも何が起きたのか。なぜドラフトで名前を呼ばれなかったのか。今回の本人の証言を手がかりに、経緯とその後の野球人生を振り返ります。

目次

多田野数人のビデオ出演騒動とは?

多田野さんは2002年当時、立教大学4年生。東京六大学野球で活躍し、プロ入りが有力視される投手でした。

ところがドラフト直前、学生時代に男性同士の性的な場面を扱う成人向けビデオに出演していた過去が週刊誌で報じられます。

この報道はプロ入りを目前にした選手の進路を揺るがす騒動となりました。多田野さんは後に出演を認め、2004年1月にはアメリカで記者会見を開いています。

大切なのは、成人向け作品への出演そのものは犯罪ではないということ。また、作品への出演だけで本人の性的指向が分かるわけでもありません。

当時の報道のあり方や、プライベートな過去が選手の評価にどこまで影響するべきだったのかという問題も、今読み返すと考えさせられます。

ドラフト指名漏れはなぜ起きた?横浜との関係は

指名を約束していた球団から断りの連絡

2002年の多田野さんは、即戦力としてドラフト上位指名が期待されていました。当時の報道では横浜ベイスターズへの入団が有力とされていましたが、最終的に横浜を含む12球団のどこからも指名されませんでした。

今回のNumberのインタビューによると、指名を約束していた球団からドラフト前に「今回はやっぱり指名できない。無理だ」と連絡があったそうです。

ただし、この発言の中で本人は球団名を明示していません。横浜が指名を見送ったことと、この連絡の送り主が横浜だったことは、分けて受け止める必要があります。

肩の故障もあったが、騒動の影響が大きく報じられた

当時は肩の故障も指名見送りの理由として挙げられていました。一方、Numberはビデオ出演報道が各球団の判断に影響したと伝えています。

各球団の内部判断のすべてが明らかになったわけではありませんが、ドラフト直前の騒動が多田野さんの進路を大きく変えたことは、今回の証言からも伝わってきます。

ドラフト当日、多田野数人は自宅で一人だった

上位指名候補なら、大学の仲間や関係者と一緒に吉報を待つ光景が思い浮かびます。しかし多田野さんは、自宅で一人、テレビを見つめていました。

事前に厳しい状況を伝えられていても、ほかの球団が下位で指名してくれるかもしれない。そんな期待が残っていたといいます。

しかし最後まで名前は呼ばれませんでした。多田野さんはNumberで、何を目標にしていいのか分からなくなった当時の絶望を振り返っています。

今回の取材では、周囲の人々に迷惑をかけたと今も反省していることも語りました。ただ、騒動を経験した22歳の若者が、誰にも助けを求められずにいたという事実も重く響きます。

日本で指名されず、アメリカでメジャー昇格

それでも多田野さんは野球を諦めませんでした。アメリカに渡り、クリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)と契約。2003年からマイナーリーグでプレーしました。

渡米後も騒動の影響は続き、2004年1月には現地で記者会見を開きます。本人は、会見後にチームメートから避けられるのではないかと不安を感じていたそうです。

CC・サバシアらがかけた言葉

ところが、会見を終えると仲間たちが声をかけてくれました。中には後にメジャーの名投手となるCC・サバシアさんや、グレイディ・サイズモアさんもいました。

多田野さんは、主力選手からの短い励ましに救われたと話しています。

その年の4月にはメジャー初登板を果たし、7月には初先発初勝利。日本のプロ野球を経ずにメジャーへ進んだ日本人選手として、新しい道を切り開きました。

2007年に日本ハムがドラフト1巡目指名

2007年、多田野さんは北海道日本ハムファイターズから大学生・社会人ドラフトの1巡目指名を受けます。

2002年にはどの球団からも指名されなかった投手が、5年後に日本球界へ戻ってきたのです。

日本ハムでは独特のフォームや緩急を使った投球で知られ、その後は独立リーグの石川ミリオンスターズでもプレーしました。

ドラフトで一度つまずいたからといって、野球人生がそこで終わるわけではない。多田野さんの歩みは、そのことを示しています。

多田野数人の2026年現在は?

現役引退後は日本ハムでスコアラー、投手コーチ、スカウトなどを歴任。2023年に球団を離れてからは野球評論家として活動しています。

現在はメジャーリーグからアマチュア野球まで幅広く見つめ、自身のnoteなどでも分析を発信しています。

今回のNumberの取材では、2026年のドラフト候補にも具体的に言及。富士大学の角田楓斗投手や三重高校の秋山隼人選手への評価を語っていました。

アメリカへの直接挑戦を考える若い選手には、自分の経験を踏まえた助言も送っています。かつて進路に悩んだ投手が、今度は次の世代を見守る立場になったわけです。

24年前の騒動を今振り返る意味

2002年のビデオ出演報道、ドラフト指名漏れ、渡米、メジャー昇格、そして日本ハムへの入団。多田野さんの野球人生は、決して一直線ではありませんでした。

今回のインタビューで改めて伝わってくるのは、当時の孤独と、アメリカで支えてくれた仲間への感謝です。

騒動の詳細だけでなく、その後も野球と向き合い続けた24年間に目を向けると、多田野数人という投手の歩みが、また違って見えてきます。

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