1989年の日本レコード大賞。美空ひばりの「川の流れのように」が大賞を取ると思っていた人にとって、結果は意外なものでした。大賞に選ばれたのはWinkの「淋しい熱帯魚」。では、なぜひばりは大賞を逃したのでしょうか。
後年の取材記事では、TBS系列局の審査員による組織票疑惑や、レコード会社への受賞集中を避けようとした可能性が語られています。ただし、どちらも不正が確定した話ではありません。当時の公式記録と関係者証言を分けて、舞台裏をたどります。
1989年のレコ大で「川の流れのように」は何を受賞した?
「川の流れのように」は1989年1月に発売された、美空ひばりの生前最後のシングルです。作詞は秋元康、作曲は見岳章。ところが同年6月24日、ひばりは52歳で亡くなりました。
同年12月31日の第31回日本レコード大賞で、大賞を受賞したのはWinkの「淋しい熱帯魚」でした。一方の「川の流れのように」は金賞と作品賞に選ばれ、ひばりには特別栄誉歌手賞が贈られています。作曲家の見岳章も作曲賞を受賞しました。
つまり「川の流れのように」が賞レースから落選したわけではありません。作品と歌手の功績は高く評価されながら、最高賞の日本レコード大賞には届かなかったのです。
日本作曲家協会の公式記録には、歌手本人がいないというレコード大賞史上初めての状況だったことも記されています。ひばりの功績をたたえ、この年には「美空ひばりメモリアル選奨」も新設されました。
なぜ大賞を逃した?組織票疑惑と審査の舞台裏
TBS系列局の26人の審査員をめぐる疑惑
2022年の週刊女性PRIMEは、当時TBS系列局から26人の審査員が参加していたと報じています。記事に登場する元新聞社の音楽担当記者は、Winkを推す関係者が系列局の審査員に働きかけたのではないかという、当時の見方を紹介しました。
ただし、個々の投票先が分かる仕組みではなく、実際に誰がどう投票したかを示す資料が提示されたわけではありません。「組織票でWinkが勝った」と断言するのは行き過ぎでしょう。
注目したいのは翌1990年の変化です。同記事によると、TBS系列局の審査員は26人から16人に削減されました。審査の公平性をめぐる問題意識があったことをうかがわせますが、制度変更だけで前年の不正を証明できるわけではありません。
日本コロムビアに主要賞が集中していた
もう一つ、当時の業界事情として挙げられるのがレコード会社のバランスです。
1989年は石川さゆりが最優秀歌唱賞、マルシアが最優秀新人賞、松原のぶえが美空ひばり賞を受賞。ひばりを含め、いずれも当時の日本コロムビアに関係する歌手でした。
週刊女性PRIMEでは、これ以上同じレコード会社に主要賞が集中するのを避けたかったのではないか、という元スポーツ紙記者の見方も紹介されています。
もっとも、同じ会社の歌手が複数受賞してはいけないという規則が確認されたわけではありません。こちらも関係者の解釈として受け止める必要があります。
歌手本人が授賞式にいなかった影響は?
ひばりが亡くなっていたことも、当時の賞レースを考えるうえで外せません。テレビ番組としては、受賞者がステージで歌う場面が大きな見せ場です。
しかし、故人は大賞を受賞できないという公式ルールが示されているわけではありません。本人不在が審査にどの程度影響したかは、関係者の推測と事実を分けて考えるべきでしょう。
Winkの受賞はおかしかった?37年後も歌われる名曲
ここで忘れたくないのが、Winkの「淋しい熱帯魚」も当時を代表するヒット曲だったことです。独特の無表情なパフォーマンスと息の合った振り付けが話題を呼び、Winkは平成初期のアイドルシーンで大きな存在感を放ちました。
TBSの公式番組紹介も、「淋しい熱帯魚」のヒットで人気が一気に高まったと振り返っています。ひばりの受賞を期待する声があったことと、Winkの作品が支持されていたことは、両立する話です。
1989年の結果が今も話題になるのは、昭和を代表する歌姫の最後のシングルと、平成の新しいアイドル像を象徴するヒット曲が、同じ舞台で競ったからかもしれません。
そして2026年5月、「川の流れのように」はJASRAC賞の銀賞を初受賞しました。JASRACによると、国内外170組以上のアーティストにカバーされ、2025年には年間264日にわたり各地で演奏されたそうです。
当時の大賞を逃しても、曲の歩みはそこで終わりませんでした。審査の舞台裏には今なお分からない部分が残るものの、「川の流れのように」が世代を超えて歌い継がれていることは、確かな事実です。
