今ではAwichやちゃんみな、NENE、LANAなど、多くの女性ラッパーが日本のヒップホップシーンで活躍しています。しかし、ここまで来る道のりは決して短いものではありませんでした。
1990年代には市井由理が「DA.YO.NE」で日本語ラップを一般層に広げる一方、HACやRUMIらもヒップホップの現場で活動。2000年代にはMiss Monday、Heartsdales、HALCALI、COMA-CHIらが登場し、女性ラッパーの存在感は徐々に大きくなっていきます。
日本の女性ラッパーはどのように現在までつながってきたのでしょうか。約30年の歴史を、時代を動かした人物を中心に振り返ります。
90年代、日本の女性ラッパーの先駆者たち
市井由理「DA.YO.NE」が日本語ラップをお茶の間へ
女性と日本語ラップの歴史を振り返るうえで、まず外せないのが市井由理です。
東京パフォーマンスドールで活動していた市井は、EAST ENDと組んでEAST END×YURIを結成。1994年に「DA.YO.NE」をリリースしました。
同曲は日本のヒップホップ作品として初のミリオンセラーを記録。「MAICCA〜まいっか」もヒットし、EAST END×YURIは1995年のNHK紅白歌合戦にも出場しています。
現在の感覚で市井由理をそのまま「本格派女性MCの元祖」とするのは少し違うかもしれません。しかし、それまで一部の音楽ファンのものという印象も強かった日本語ラップを、女性の声とともに一般家庭まで届けた功績は非常に大きかったといえます。
さんピンCAMPにも女性ラッパーHACが出演
一方、ヒップホップシーンの内側で注目したい存在がHACです。
1996年7月7日に日比谷野外大音楽堂で開催された、日本語ヒップホップ史を語るうえで欠かせないイベント「さんピンCAMP」に、HACも出演者として名を連ねています。
市井由理が日本語ラップを広い層へ届けた存在だとすれば、HACは当時のヒップホップの現場にも女性MCが存在していたことを知るうえで重要な存在です。どちらか一方だけを「元祖」と決めるより、それぞれ違う場所で女性と日本語ラップの可能性を示したと捉える方が実態に近そうです。
また、90年代にはRIMや女性2MCのNOCTURNなども活動していました。
RUMIも90年代からキャリアをスタート
現在まで続く日本語ラップの歴史を考えると、RUMIも欠かせません。
RUMIは10代の頃からラップを始め、YOSHIと名乗っていた頃の般若やDJ BAKUらと同時代の東京のヒップホップシーンで活動してきました。
般若本人も後年、RUMIと曲を作り、デモテープを持ち歩いていた当時について振り返っています。
女性ラッパーは、後から男性中心の日本語ラップに加わっただけではありません。現在ベテランとして知られるラッパーたちがキャリアを始めた90年代から、女性MCも同じシーンで活動していたのです。
2000年代に女性ラッパーが一気に身近な存在へ
Miss Monday、Heartsdalesが登場
2000年代に入ると、女性ラッパーの名前をテレビや音楽番組で目にする機会が増えていきます。
2000年にデビューしたMiss Mondayは、所属レコード会社の公式プロフィールでも「女性ラッパーの先駆け」と紹介されている存在です。Mummy-Dらヒップホップ勢だけでなく、レゲエやR&Bのアーティストとも積極的に共演しました。
そして2001年に登場したのが、姉妹によるHeartsdalesです。
RumとJewelsによるラップユニットで、当時の女性ラッパーの中でもポップシーンとの距離が近く、2000年代をリアルタイムで過ごした世代には強く記憶されている存在でしょう。
この時代にはDOUBLEなど女性R&Bアーティストも人気を集めていました。DOUBLEを女性ラッパーに分類するのは適切ではありませんが、R&Bとヒップホップが近い場所で盛り上がったことも、女性がラップやブラックミュージックに触れる入口を広げた背景の一つと考えられます。
HALCALIは女性ラッパー初のアルバムTOP10
2003年に「タンデム」でデビューしたHALCALIも、この歴史から外せません。
HALCAとYUCALIは「FEMALE RAPPER オーディション」でグランプリを獲得して結成。RIP SLYMEのRYO-ZとDJ FUMIYAによるO.T.Fのプロデュースを受けました。
同年発売の1stアルバム「ハルカリベーコン」はオリコンアルバムチャート5位を記録。ソニーミュージックの公式プロフィールでは、女性ラッパーとして初のベストテン入りとされています。
本格派MCだけが女性ラッパーなのではなく、ファッションやポップカルチャーとラップを組み合わせてもいい。HALCALIの存在は女性ラップの間口をさらに広げました。
同時期にはBENNIE Kでラップを担当したCICO、名古屋を拠点としたANTY the 紅乃壱など、それぞれ違ったスタイルの女性MCも活躍しています。
HALCALIの現在や活動休止後については、HALCALIの現在2026・メンバーの今をまとめた記事でも詳しく紹介しています。
COMA-CHIがMCバトルで示した実力
そして2000年代の大きな転換点となったのがCOMA-CHIです。
2005年の「B-BOY PARK MC BATTLE」で、COMA-CHIは女性初の準優勝を果たしました。本人も後年、当時の出場者はほとんどが男性で、女性はごく少数だったと振り返っています。
これは女性ラッパー史を考えるうえで重要な出来事です。
女性であることやポップな見せ方ではなく、即興ラップの実力を競う男女混合のMCバトルで勝ち上がったからです。
2026年には活動20周年を迎えたCOMA-CHI。公式サイトでも日本の女性ラッパーを代表するパイオニア的存在として紹介されています。
2010年代、女性ラッパーは一つのスタイルではなくなった
2010年代になると「女性ラッパー」という言葉だけではまとめきれないほど、スタイルが多様化していきます。
SIMI LABのMARIA、ゆるふわギャングのNENE、Elle Teresa、chelmico、Daoko、泉まくら、そしてちゃんみななど、それぞれ全く異なる音楽性やファッション、言葉で支持を集めるアーティストが登場しました。
なかでもElle Teresaは2016年に1stミックステープを発表。NENEは2017年にゆるふわギャングとしてアルバムを発表し、同年にはソロアルバムもリリースしています。
この頃になると、女性だから特定のスタイルを求められる時代から、女性自身がさまざまなヒップホップ像を提示する時代へと変わっていったことが分かります。
ちゃんみながラップとポップの境界をさらに広げた
2017年にメジャーデビューしたちゃんみなも大きな存在です。
日本語、韓国語、英語を操り、ラップだけでなく歌、ダンス、作詞作曲、セルフプロデュースまで手掛けるスタイルで支持を拡大しました。
かつての「女性ラッパー」という枠だけでは収まらない、ラッパーでありポップスターでもある存在です。
2023年には、ちゃんみなが初めてプロデューサーを務めるガールズグループオーディション「No No Girls」の始動が発表され、2024年から番組の配信がスタート。自分が成功するだけでなく、次の女性アーティストを送り出す側にも回っています。
Awich、NENE、LANAらが作った現在の女性ラップシーン
Awichは実は2006年デビュー
現在の日本の女性ラッパーを語るうえで欠かせないのがAwichです。
近年になって登場した印象を持つ人もいるかもしれませんが、実際には2006年にEP「Inner Research」でデビューしています。
米国での生活や夫との死別、沖縄への帰郷などを経て音楽活動を本格的に再開し、2017年にアルバム「8」を発表。2020年にはメジャーデビューしました。
長いキャリアを経て、日本のヒップホップシーンを代表するラッパーの一人になったという点でも象徴的な存在です。
「女性ラッパー」が珍しくない時代へ
現在はNENE、Elle Teresaに加え、LANA、MFS、MaRI、CYBER RUI、7など多くの女性ラッパーが活動しています。
2023年にはAwich、NENE、LANA、MaRI、AI、YURIYAN RETRIEVERの6人による「Bad Bitch 美学 Remix」が発表されました。世代やスタイルの異なる女性アーティストが一つの楽曲に集まったことも、現在のシーンを象徴する出来事の一つです。
さらに現在は、新たな女性ラッパーを発掘するオーディション企画も登場しています。「ゴールデンマイク」の女性ラッパー20人についても別記事で紹介しています。
90年代から約30年。現在では女性ラッパー同士による楽曲や共演が自然に成立し、ラップ、歌、ファッション、海外活動など、それぞれが全く違う方向へ進んでいます。
こうして振り返ると、日本の女性ラップ史はAwichやちゃんみなから突然始まったわけではありません。市井由理がラップをお茶の間へ届け、HACやRUMIらが現場に立ち、Miss Monday、Heartsdales、HALCALIらが存在を身近にし、COMA-CHIが実力で壁を破ってきました。
そして現在は、「女性ラッパー」という括りだけでは語りきれないほどシーンが豊かになっています。昔のHeartsdalesやHALCALIを知る世代が今のLANAたちを聴いてみると、30年の間に変わったものと、受け継がれてきたものの両方が見えてくるかもしれません。
