『半沢直樹』『VIVANT』を手がける福澤克雄監督。慶應義塾の創設者・福澤諭吉の玄孫(やしゃご)として知られますが、実はかつて「山越克雄」という名前でラグビー日本一に輝いた選手でもありました。
2026年10月18日には慶應義塾大学日吉キャンパスの「慶應連合三田会大会」に、俳優の堺雅人さんとともに登場。改めて福澤監督の家系や経歴にも注目が集まっています。
なぜ名字が変わったのでしょうか。そして、名門一族の出身者がどのようにドラマ界へ進んだのか、たどってみます。
福澤克雄監督は福澤諭吉の玄孫!家系のつながりは?
福澤克雄監督は1964年生まれ。慶應義塾の公式広報誌『三田評論』でも、福澤諭吉の玄孫であると紹介されています。
玄孫とは、ひ孫の子どものこと。福澤諭吉から見て4代後にあたります。
家系の流れは、福澤諭吉から次男の捨次郎、時太郎、和子、そして克雄監督へと続きます。母・和子さんの弟にあたる福澤武さんは、三菱地所の社長・会長を歴任した人物です。
一万円札の肖像としても親しまれた福澤諭吉。その子孫が現代の人気ドラマを作っているというのは、ちょっと不思議な縁を感じさせます。
旧姓は「山越克雄」だった
福澤監督を昔から知るラグビーファンには、「山越克雄」という名前のほうがなじみ深いかもしれません。
日刊ゲンダイによると、福澤監督の旧姓は山越。両親の離婚後、母方の福澤姓を名乗るようになったといいます。
そのため、大学ラグビーの記録に残る「山越克雄」と、現在のドラマ監督「福澤克雄」は同じ人物なのです。
慶應幼稚舎から大学へ!ラグビー日本一の実績
福澤監督は慶應義塾幼稚舎から普通部、高等学校、大学へ進みました。幼稚舎という名前ですが、こちらは幼稚園ではなく小学校です。
学生時代に夢中になったのはラグビー。高校時代には日本代表に選ばれ、大学では蹴球部の一員として活躍しました。
身長189センチ、体重95キロという体格を生かし、ポジションはロック。1986年1月15日には、慶應大学が社会人王者トヨタ自動車を破り、日本選手権初優勝を果たしています。
大学選手権と日本選手権の両方で優勝した経験は、慶應義塾の公式プロフィールにも記されています。
一方、順風満帆な学生生活ばかりではありませんでした。日刊ゲンダイは、高校時代に留年したことも報じています。同級生の証言によると、ラグビー部の練習による出席日数不足が理由だったそうです。
名門の家系というイメージとは少し違う、スポーツに打ち込んだ学生時代が見えてきます。
富士フイルムからTBSへ!『半沢直樹』『VIVANT』を生むまで
1986年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した福澤監督。最初の就職先はテレビ局ではなく、富士フイルムでした。
その後、1989年にTBSへ入社。ドラマの演出家として『GOOD LUCK!!』『砂の器』『華麗なる一族』などの作品に携わります。
2013年の『半沢直樹』では、堺雅人さん主演の物語を大ヒットに導きました。2023年の『VIVANT』でも堺さんとタッグを組み、スケールの大きな物語で話題に。
そして2026年7月26日には『VIVANT』第2シーズンがスタート。TBS公式サイトによると、福澤監督は原作・演出・プロデュースを担当しています。
2026年10月18日には、堺さんとそろって慶應義塾大学日吉キャンパスのイベントに登場。SmartFLASHがその様子を報じました。
慶應の学生だった頃から長い時間を経て、今度は人気ドラマの監督として母校ゆかりの場所に戻ってきたわけです。
福澤諭吉の玄孫という肩書きは確かに印象的です。しかし、旧姓・山越克雄としてラグビー日本一を経験し、一般企業への就職を経てドラマの世界に飛び込んだ経歴も負けず劣らず興味深いもの。
『VIVANT』で描かれる組織や仲間との駆け引きを見るとき、かつてチームスポーツの頂点を経験した監督の存在を思い出すと、また違った楽しみ方ができそうです。
福澤監督の経歴については、慶應義塾公式の対談でも詳しく紹介されています。
