大阪・ミナミの老舗ショーパブ「ベティのマヨネーズ」で知られるベティママについて、2026年11月3日、訃報がSNSで広まりました。
ハイヒール・モモコさん、歌手の世良公則さんも学生時代の思い出を明かして追悼しています。
ベティママ死去、モモコも訃報を報告
長年親交のあったハイヒール・モモコさんがInstagramで訃報を伝えました。
モモコさんは20代の頃から店に通い、夫との交際のきっかけにもなった場所だと振り返っています。新婚旅行や子どもの誕生、家族の節目にもベティママが寄り添っていたそうです。
★KARICONIC★(@KARICONICHAN)さんもベティママの死去を伝えました。投稿には生前の写真も添えられています。
ベティママがお亡くなりになりました。レジェンドがまた1人。心より御冥福をお祈り致します。
— ★KARICONIC★ (@KARICONICHAN) Xで投稿を見る
これを受け、女装文化の研究者・三橋順子さんも、1990年代後半に店を訪れた際の思い出とともに追悼の言葉を投稿。タレントの日出郎さんも驚きを表していました。
大阪のニューハーフ・ショーパブ「ベティのマヨネーズ」のベティママの訃報。
「ニューハーフ」という言葉の元祖。1990年代後半に2度ほど遊びに行った。
東京から来た女装者にもやさしく接してくださった。
ご冥福をお祈りいたします。— 三橋順子 (@MJunko0523) November 2, 2026
「ニューハーフ」という言葉が誕生した経緯を語るベティさんの記事(『スポーツニッポン』1981年4月14日) https://t.co/F59AuV7LOU
— 三橋順子 (@MJunko0523) November 2, 2026
え!?ベティママ…
え????— 日出郎(天狗連志ん進) (@hiderou1030) November 2, 2026
ベティママの死因や亡くなった年齢は?
気になるのは、いつ、何歳で亡くなったのかという点です。
11月3日の訃報報道では、前月に店舗ブログで体調不良がつづられていたとも伝えられています。ただし、その体調不良が死去と関係しているかは不明です。
ベティママの生年月日は1955年11月24日です。2026年11月3日の訃報時点では70歳でした。鹿児島県出身で、歌手やショーガールとしても活動していました。
ベティママの家族は?結婚・夫・子供について
ベティママの家族については、本人の結婚歴や配偶者、子供の有無を裏付ける公的なプロフィールや本人発言は、今回調べた範囲では見つかっていません。
一方、長年親しくしていたハイヒール・モモコさんは、2026年11月3日のInstagramでベティママを親戚のような存在だったと振り返っています。モモコさんの新婚旅行に同行したほか、長男が生まれたときに真っ先に駆けつけ、子供たちの20歳の誕生日を店で祝ってくれたそうです。
モモコさんの投稿には、ベティママの故郷・鹿児島を一緒に訪れた思い出も登場します。
ベティママは何者?大阪の名物ショーパブで活躍
ベティママは、大阪のショーパブ「ベティのマヨネーズ」の顔として長年親しまれてきた人物です。
華やかなショーや軽妙なトークで知られ、関西のテレビ番組などを通じて名前を覚えている人も多いようです。
今回の訃報を受けたSNSでは、初めて店を訪れた客にも丁寧に接してくれたことや、ショーでの存在感を懐かしむ声が目立ちます。単に有名なママだったというだけではなく、実際に会った人の記憶に残る存在だったことがうかがえます。
「ベティのマヨネーズ」は今後どうなる?
ベティママの訃報を聞いて、お店の今後が気になった人もいるでしょう。
「ベティのマヨネーズ」は大阪・ミナミのショーパブとして公式サイトを公開しています。ただし、今回の訃報を受けた営業方針や今後の体制については、確認できた情報だけでは判断できませんね。
ベティママのプロフィールと学歴|世良公則と大学の同級生
ベティママは「ベティ春山」の名前でも知られ、芸能プロフィールには1955年11月24日生まれ、鹿児島県出身と記載されています。
学生時代は大阪芸術大学に進学。1981年4月14日付の『スポーツニッポン』には「大阪芸大中退」「世良公則と同級生」という見出しが載っています。
11月3日、世良公則さんもInstagramでベティママを追悼しました。実は二人は大阪芸術大学の同級生。同じ授業で机を並べた仲だったそうです。世良さんは1955年12月14日生まれで、ベティママと同じ1955年生まれ。誕生日もわずか20日違いでした。
世良さんによると、2回生になってしばらくするとベティママの姿を見かけなくなり、その後、ショービジネスの世界で活躍していることを知ったといいます。いつか再会できると思っていたものの、その機会は訪れませんでした。
華やかなステージで知られるベティママに、こんな学生時代のつながりがあったとは驚きです。
桑田佳祐との会話から「ニューハーフ」が生まれた?
「ニューハーフ」の語源として有名なのは、桑田佳祐さんがベティママの顔立ちを見て、どこの国のハーフなのかと尋ねたという話です。ベティママが男性と女性のハーフだと答えたことをきっかけに、レコードデビュー時のキャッチフレーズとして「ニューハーフ」が使われたと伝えられています。
この経緯は2010年9月16日付の朝日新聞でも紹介され、辞書の用例を集める「日国友の会」にも記録されています。2023年には、はるな愛さんもテレビ番組でベティママと桑田さんのエピソードを語りました。
さらに、1981年4月14日付のスポーツニッポンには、ベティママ本人を紹介する記事の中で「ニュー・ハーフ」という表現が登場しています。少なくともその時点で、ベティママの売り出し方と結びついた言葉だったことがわかります。
ただし、この言葉の起源には別の説明もあり、ベティママや桑田さんだけが最初に考案したと断定するのは避けたいところです。いずれにしても、言葉が広まる過程で重要な役割を果たした人物だったことは確かでしょう。
桑田佳祐が手がけたデビュー曲「I Love You はひとりごと」
ベティママは1981年、桑田佳祐さんが作詞・作曲した「I Love You はひとりごと」でレコードデビューしました。華やかなショーのイメージだけでなく、歌手としても活動していたのです。
この曲の作詞・作曲は桑田佳祐さん。ベティママ版はCBS・ソニーから1981年に発売され、編曲は八木正生さんが担当しました。レコードのB面には同曲のカラオケ版が収録されています。
興味深いのは、原由子さんも1981年4月21日に同じ曲をソロデビューシングルとして発売していること。原さん版はHARABOSEが編曲を担当し、同じ楽曲でも異なるアレンジで聴くことができます。
歌詞には大人の恋愛を描いた際どい表現があり、原さん版は当時、放送禁止をめぐる騒動にもなりました。サザンオールスターズ公式サイトにも、1981年5月に原さんの楽曲への放送禁止措置に抗議するライブが行われた記録が残っています。
なお、原さん版とベティママ版は別々のレコードです。発売日や編曲を混同しないよう注意が必要です。
当時の歌声を聴いてみたい人は、こちらの動画もどうぞ。
ベティママを惜しむ声が続々
訃報が広まると、SNSには「昔お店に行った」「優しく声をかけてもらった」「テレビで見ていた」といった思い出が寄せられました。
長年にわたり大阪の夜を盛り上げ、ショーパブ文化を身近なものにしてきたベティママ。今回の反応を見ると、その影響はお店の常連客だけにとどまらなかったようです。
亡くなった経緯などは今後の発表を待つ必要がありますが、ベティママが残した華やかなステージと温かな思い出は、多くの人の心に残り続けるのでしょう。
