2026年10月24日放送のNHK『SONGSスペシャル』で、中森明菜さんが「難破船」を振り返り、「3年連続レコード大賞を取るはずだった」と語りました。1985年の「ミ・アモーレ」、1986年の「DESIRE -情熱-」に続く3連覇への思いが、約39年後に本人の口から語られたのです。
では、1987年に大賞を獲得したのは誰だったのでしょうか。答えは近藤真彦さんの「愚か者」。しかも、当時の2人には交際報道がありました。受賞結果だけでは見えてこない、当時の審査と2人の関係を振り返ります。
1987年のレコード大賞は近藤真彦の「愚か者」
第29回日本レコード大賞が発表されたのは1987年12月31日。大賞は近藤真彦さんの「愚か者」で、中森明菜さんの「難破船」は特別大衆賞を受賞しました。これは主催する日本作曲家協会の公式記録にも残っています。
明菜さんは1985年と1986年に連続受賞しており、3年連続での受賞が期待されていました。1987年も「TANGO NOIR」「BLONDE」「難破船」と話題曲を送り出し、歌手として充実した一年を過ごしています。
ただし、レコード大賞は年間売上だけで自動的に決まる賞ではありません。売上が多かったから必ず受賞すべきだった、という単純な話でもないのです。
最終投票は近藤真彦と五木ひろしの9対8
当時の結果を振り返るうえで見逃せないのが、最終投票の顔ぶれです。スポーツニッポンの2012年の回顧記事によると、決選投票に残ったのは近藤さんと五木ひろしさん。審査員17人による投票は9対8という、わずか1票差でした。
つまり、最後に近藤さんと明菜さんが一騎打ちをしたわけではありません。この年は五木さんの「追憶」や瀬川瑛子さんの「命くれない」など、演歌勢にも有力曲がそろっていました。
なぜ「愚か者」が選ばれたのか
「愚か者」は1987年発売。作詞は伊達歩さん、作曲は井上堯之さんです。それまでの若々しいアイドル像とは違い、男の弱さや後悔をにじませる歌でした。
スポニチの回顧記事では、音楽関係者が近藤さんの歌手としての成長を評価していたと紹介されています。作品の世界観と歌手としての変化が、大賞選考で支持された一因と考えられます。ただし、審査員全員の判断理由が一つにまとまっていたわけではありません。
授賞式の直前には遺骨盗難事件も
華やかな授賞式の裏で、近藤さんは深刻な事件にも直面していました。前年に亡くなった母親の遺骨が墓から盗まれ、レコード大賞の受賞辞退を要求する脅迫文が所属事務所に届いたのです。事件が公になったのは年明けでした。
この事件は近藤さん側に起きた脅迫事件であり、明菜さんの受賞結果と結びつける根拠はありません。事件そのものの経緯は別記事で詳しく取り上げます。
中森明菜はマッチの受賞を喜んでいた?
当時の明菜さんと近藤さんは交際を報じられていました。1984年1月には指輪の贈り物がスクープされ、テレビ共演やレース場での応援も注目されています。1987年のレコード大賞は、交際報道から約4年後の出来事でした。
授賞式で明菜さんが近藤さんの受賞を喜んでいたという視聴者の回想もあります。ただ、拍手や表情だけで本人の胸中を決めつけることはできません。相手の受賞を祝う気持ちと、自分が3連覇を逃した悔しさは、両立しうるものです。
その後、2人は1989年の騒動と年末の記者会見を経て、破局したと報じられています。詳しくは中森明菜と近藤真彦の破局後の発言を振り返る記事でも紹介しています。
「難破船」に込めた思いが39年後に明らかに
今回の『SONGS』では、加藤登紀子さんが手がけた「難破船」を初めて聴いたとき、明菜さんが涙したことも語られました。曲への強い思い入れがあったからこそ、3連覇にふさわしい一曲だと感じていたのでしょう。
もちろん、今回の発言は「近藤さんの受賞が不正だった」と主張したものではありません。1987年の大賞は9対8の接戦を制した近藤さんの「愚か者」。一方、明菜さんの「難破船」も特別大衆賞を受け、長く歌い継がれる名曲になりました。
39年後に本人の言葉で当時の思いが語られたことで、あの年のレコード大賞が改めて注目されているのです。
