近藤真彦の母の遺骨は戻った?犯人が捕まらない理由とレコ大脅迫事件

近藤真彦さん(マッチ)の母親の遺骨が、墓から盗まれた事件をご存じでしょうか。

1987年の日本レコード大賞直前、レコード会社に不審な電話が入り、母親の遺骨がなくなっていることが判明。さらに「レコード大賞を辞退しろ」という脅迫状まで届きました。

近藤さんは結局「愚か者」で大賞を受賞しましたが、犯人は捕まらず、事件は時効を迎えています。遺骨が返還されたという確かな続報もありません。

なぜ電話や手紙という手がかりがあったのに、犯人は捕まらなかったのでしょうか。当時の取材記録と本人の証言をもとに振り返ります。

目次

近藤真彦の母の遺骨は戻った?1987年の盗難事件

近藤さんの母・美恵子さんは1986年11月、交通事故で亡くなりました。42歳でした。息子が芸能界の第一線で活躍するなか、突然訪れた別れだったのです。

その約1年後、今度は母親の墓が荒らされるという事件が起きました。

12月26日、レコード会社に男から電話

事件を取材した芸能記者・山川敦司さんが2022年に振り返った記事によると、1987年12月26日午後6時過ぎ、CBSソニーに男の声で電話がありました。

男は、近藤さんの母親の墓をその日のうちに調べるよう求めたといいます。近藤さんの父親が立ち会って墓を確認したところ、母親の骨箱がなくなっていました。

電話の相手が遺骨を盗んだ本人だったのかどうかも含め、その正体は明らかになっていません。

2日後には「レコード大賞を辞退しろ」と脅迫状

同じ取材記録では、12月28日ごろ、CBSソニー社長宛てに大賞辞退を求める手紙が届いたとされています。応じなければ遺骨を処分するという趣旨の内容でした。

日本レコード大賞の授賞式は12月31日。わずか数日後です。

注目すべきは、犯人が金銭ではなく「賞への出席・受賞レースからの辞退」を求めた点でしょう。遺骨を利用して歌手としての大切な機会を奪おうとした、極めて悪質な脅迫でした。

近藤真彦はなぜレコード大賞を辞退しなかった?

近藤さんは遺骨を取り戻すため、辞退を本気で考えたといいます。しかし、最終的には授賞式に出席しました。その決断を支えたのが父親の言葉でした。

2012年の日刊スポーツは、近藤さんが2010年放送のTBS系『中居正広の金曜日のスマたちへ』で明かした父子のやり取りを紹介しています。

近藤さんは、自分が芸能界の仕事をしているせいで母親の遺骨が被害に遭ったと考え、父親に土下座して謝ったそうです。すると父親は息子を抱きしめ、母親なら授賞式に出るよう言うはずだと励ましたといいます。

こうして近藤さんは1987年12月31日、「愚か者」で日本レコード大賞を受賞。ステージで涙を流しました。

華やかな受賞の裏側には、家族で悩み抜いた末の決断があったのです。

電話も脅迫状もあったのに犯人が捕まらなかった理由は?

事件の経緯を知ると、どうしても疑問が残ります。犯人につながりそうな電話や脅迫状があるのに、なぜ逮捕に至らなかったのでしょうか。

まず、警察が捜査をしていなかったわけではありません。山川記者は当時、墓地周辺で警察官が不審な人物や車について聞き込みをしていたという証言を得ています。所轄署も墓荒らしの事実を把握していました。

それでも有力な手がかりは得られず、事件は時効を迎えたと同記者は2022年に記しています。

電話の発信元や脅迫状は調べられなかった?

1987年は、現在のように街中の防犯カメラやデジタル記録を広く利用できる時代ではありません。ただし、当時の警察が電話の発信元をどこまで追跡したのか、脅迫状の指紋や筆跡をどう調べたのかといった詳しい捜査内容は、一般に伝えられている報道からは分かりません。

したがって「電話を逆探知できなかったから」「指紋が残っていなかったから」といった説明は、もっともらしくても断定できません。

犯人の要求が金銭ではなく辞退だったことも、この事件の特徴です。現金の受け渡しのように犯人との接触機会が生まれる事件とは事情が異なりますが、それが未解決の直接の原因だったかどうかも不明です。

近藤真彦は被害届や告訴を出した?

警察による捜査が行われたことは、当時の取材記録から分かります。一方、近藤さん本人や家族が被害届を出したのか、正式に刑事告訴したのかについては、公開された報道では詳しい手続きまで伝えられていません。

そもそも刑事事件は、被害者が告訴しなければ捜査できないものばかりではありません。「近藤さんが訴えなかったから犯人が捕まらなかった」という説明は成り立たないのです。

犯人の動機は?身内説や受賞阻止説を検証

犯人の目的を考えるうえで気になるのは、レコード大賞の発表直前というタイミングです。

近藤さんは当時、「愚か者」で大賞を争う有力候補の一人でした。犯人が受賞を阻止したかった可能性は考えられます。

一方で、賞を諦めさせること自体が目的ではなく、母親の遺骨を利用して近藤さんを精神的に追い詰めたかったという見方もできます。

ただし、いずれも推測です。犯人の動機を示す確かな証拠は公表されていません。ほかの候補者や音楽業界の関係者が事件に関与したという根拠もありません。

「身内が犯人」という噂は本当?

ネット上では、近藤さんの身近な人物が関係していたのではないかという話も見かけます。

2010年12月の『金スマ』では、霊能者の木村藤子さんが遺骨について語ったと当時の視聴者が記録しています。その発言をめぐって、さまざまな推測が生まれたようです。

しかし、テレビ番組での霊視や視聴者の解釈は、捜査上の証拠ではありません。近藤さんの親族が犯行に関与したと裏付ける信頼できる報道もありません。

特定の家族を犯人と結びつけることはできず、身内説はあくまで根拠のない噂として区別する必要があります。

近藤真彦は事件をどう振り返った?その後のレコード大賞

事件から20年以上が過ぎた2010年、近藤さんは『金スマ』の特集で母親の死や遺骨盗難事件について語りました。

放送前の日刊スポーツの取材では、つらい出来事を人に話せるようになるまで長い時間がかかったという趣旨のコメントを寄せています。

同年12月30日には、日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。ステージで1987年の悲しい出来事に触れ、亡き母親への感謝を伝えました。

1987年の大賞受賞は、近藤さんにとって大きな栄誉であると同時に、母親の遺骨を奪われた記憶と切り離せない出来事だったのでしょう。

2022年の回顧記事でも事件は未解決とされており、2026年10月現在、遺骨の返還や犯人逮捕を裏付ける新たな報道は見当たりません。

まとめ|母の遺骨盗難事件はなぜ未解決なのか

1987年12月、近藤真彦さんの母親の遺骨が墓から盗まれ、レコード大賞辞退を求める脅迫状が届きました。

近藤さんは父親の言葉に支えられて授賞式に出席し、「愚か者」で大賞を受賞。しかし犯人は捕まらず、事件は時効を迎えています。

電話や手紙があったにもかかわらず逮捕できなかった具体的な理由は分かっていません。犯人の動機や身内説についても、事実と推測を分けて考える必要があります。

同じ1987年のレコード大賞では、中森明菜さんの3連覇にも注目が集まっていました。当時の賞レースについては中森明菜は1987年レコ大でなぜ3連覇を逃した?で詳しく紹介しています。

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