ドラフトの外れ1位とは?外れ外れ1位から大成功した選手も!

プロ野球のドラフト会議で耳にする「外れ1位」「外れ外れ1位」。名前だけ聞くと、評価が低い選手のように感じるかもしれません。

しかし、外れ1位も正式な指名順位はドラフト1位。坂本勇人や村上宗隆、2度抽選に外れた末に指名された山田哲人など、球界を代表する選手が誕生しています。

仕組みや抽選回数のルールから、歴代の成功例、思わず驚くくじ引き事件まで紹介します。

目次

ドラフトの外れ1位とは?仕組みを解説

外れ1位とは、最初の1位指名で他球団と競合し、抽選に外れた球団が改めて指名した選手のことです。正式な順位ではなく、報道などで使われる通称です。

例えば巨人と阪神が同じ選手を1位指名すると、抽選で交渉権を得られるのは一方だけ。外れた球団は別の選手を1位として再入札します。

つまり外れ1位は「ドラフト2位」ではありません。単独1位と外れ1位で制度上の指名順位に差はなく、外れた球団が選び直したという経緯を表す言葉です。

外れ外れ1位とは?何回まで抽選できる?

最初の抽選に外れ、続く外れ1位の抽選にも外れた球団が3回目に指名した選手が「外れ外れ1位」です。

  • 1回目:A選手を指名、抽選に外れる
  • 2回目:B選手を指名、再び抽選に外れる
  • 3回目:C選手を外れ外れ1位として指名

実は抽選に「3回まで」という上限はありません。競合が続けば再入札を繰り返し、全12球団の1位指名が確定するまで続きます。

ただし、他球団が交渉権を獲得した選手は指名し直せません。抽選が進むほど選択肢は減るため、各球団の候補リストの厚さが問われます。

ドラフトで複数球団が競合した場合の抽選方法

ドラフトの1巡目は「入札抽選」方式。各球団が希望選手を提出し、重複がなければ交渉権が確定します。重複した場合だけ抽選を行い、外れた球団が再入札します。

先にくじを引いた球団が必ず有利というわけではありません。どの封筒に当たりが入っているかは引く順番とは無関係です。

一方、2巡目以降は1巡目の入札抽選とは異なり、ウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に用いて指名します。

外れ1位から活躍した歴代選手

坂本勇人(巨人・2006年)

2006年の高校生ドラフトで巨人が最初に狙ったのは愛工大名電高校の堂上直倫でした。中日、阪神との3球団競合で抽選に敗れ、光星学院高校の坂本勇人を外れ1位指名します。

坂本は巨人の正遊撃手として長く活躍し、首位打者や最多安打を獲得。2020年には通算2000安打も達成しました。抽選に外れたことが、結果として球団の歴史に残る指名につながりました。

村上宗隆(ヤクルト・2017年)

2017年、ヤクルトは7球団競合となった早稲田実業高校の清宮幸太郎を指名しましたが、日本ハムが交渉権を獲得しました。

そこで外れ1位として指名したのが九州学院高校の村上宗隆。こちらも巨人、楽天との3球団競合になり、ヤクルトが当たりくじを引きました。

村上は2022年に56本塁打を放ち、史上最年少の三冠王に。最初の抽選に外れていなければ、ヤクルトでこの記録が生まれていなかったかもしれません。

斎藤雅樹(巨人・1982年)

巨人は1982年、早稲田実業高校の荒木大輔を1位指名しましたが、抽選でヤクルトに敗れ、川口高校の斎藤雅樹を指名しました。

斎藤はプロで通算180勝を挙げ、最多勝5回、沢村賞3回。ドラフト時の注目度だけでは将来の活躍を測れないことを示す存在です。

外れ外れ1位からスターになった選手

山田哲人(ヤクルト・2010年)

2010年、ヤクルトは早稲田大学の斎藤佑樹を1位指名しましたが、4球団競合で日本ハムに敗れました。続いて八戸大学の塩見貴洋を指名したものの、楽天との抽選にも敗れます。

3回目に指名したのが履正社高校の山田哲人。オリックスとの抽選を制し、交渉権を獲得しました。

山田は打率3割、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」を史上初めて3度達成。外れ外れ1位が球史に残るスターとなった代表例です。

吉川尚輝(巨人・2016年)

2016年の巨人は創価大学の田中正義を最初に指名しましたが、5球団競合で敗れました。続いて桜美林大学の佐々木千隼を外れ1位で指名したものの、こちらも5球団競合でロッテに敗れます。

3回目に指名したのが中京学院大学の吉川尚輝。守備力に定評のある二塁手として活躍し、2024年にはゴールデングラブ賞を獲得しました。

実は2016年の佐々木千隼への外れ1位での5球団競合は史上初。DeNA、日本ハム、広島も2度の抽選に外れ、それぞれ濵口遥大、堀瑞輝、加藤拓也を3回目に指名しています。

ドラフトのくじ引きで起きた珍事件

2015年・真中満監督の勘違いガッツポーズ

2015年、ヤクルトと阪神は明治大学の高山俊を1位指名しました。ヤクルトの真中満監督はくじを開くと大きくガッツポーズ。ところが当たりを引いていたのは阪神の金本知憲監督でした。

真中監督は外れくじに印刷されたドラフト会議のマークを当たりの印と勘違いしていたのです。いったんヤクルトの交渉権獲得としてインタビューまで行われ、その後に訂正されました。

この出来事を受け、翌2016年から外れくじは完全な白紙に変更されました。

2005年にも当たりくじの勘違い

実は似た出来事は2005年にも発生しています。大阪桐蔭高校の辻内崇伸をめぐる抽選でオリックス側が当たりと勘違い。また福岡第一高校の陽仲壽(のちの陽岱鋼)をめぐる抽選でも、ソフトバンクの王貞治監督が当たりと勘違いしました。

球団の将来を左右する抽選だけに、普段は冷静な監督や球団幹部でも思わぬハプニングが起きるのですね。

1989年・野茂英雄に8球団が競合

1989年、新日鉄堺の野茂英雄には8球団が競合し、近鉄が交渉権を獲得しました。野茂はプロ1年目に18勝を挙げ、のちにメジャーリーグでも活躍します。

なお、8球団競合は野茂だけではありません。翌1990年の小池秀郎にも8球団が競合しました。「史上最多の8球団競合」という記録は両者が並んでいます。

まとめ

外れ1位は最初の抽選に外れた球団の再指名、外れ外れ1位はさらに次の指名を表す言葉です。どちらも正式な順位はドラフト1位で、抽選回数に3回までという制限はありません。

坂本勇人、村上宗隆、山田哲人、吉川尚輝など、外れ1位や外れ外れ1位から大きく飛躍した選手は数多くいます。

ドラフト当日は最初の当たりくじに注目が集まりますが、何年か後に振り返ると、別の指名がチームの未来を変えていることも。そんな意外性もドラフト会議の面白さです。

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