元巨人・西武のプロ野球選手、三浦貴(みうら・たか)さんは、2023年7月24日に45歳で亡くなっています。死因は直腸がんと報じられました。現役引退後は運送会社で働きながら教員免許を取得し、母校・浦和学院高校で教師と野球部コーチを務めていました。2009年当時には妻と子供2人がいたことも報じられています。投手から野手への転向、教師への再出発、教え子たちとの絆を振り返ります。
三浦貴さんの現在|2023年に45歳で死去
三浦貴さんは2023年7月24日に亡くなりました。埼玉新聞は死因を直腸がん、スポーツ紙は大腸がんと報じています。
2022年にがんが見つかり治療を受け、一時は母校の指導現場に復帰しましたが、2023年夏に再び体調が悪化しました。亡くなる前日には、恩師の森士元監督らと浦和学院の試合をテレビで見ていたと伝えられています。
現役を退いた後も、母校の野球を見守り続けていたことがうかがえます。
三浦貴さんは結婚していた?妻と子供について
2009年12月の日刊スポーツの報道では、三浦さんには当時、夫人と子供2人がいたとされています。
ただし、妻や子供の名前、職業、現在の状況などは確認できる公表情報がありません。2009年時点の報道をもって、亡くなった当時の家族構成まで断定することはできません。
家族を支えながら新たな仕事と勉強を両立していたことは、引退後の人生を知るうえで重要なエピソードです。
巨人と西武でプレー|投手から野手へ転向した経歴
三浦さんは1978年5月21日生まれ。浦和学院高校では投手として1996年の春夏甲子園に出場し、その後は東洋大学で活躍しました。
2000年のドラフト3位で巨人に入団。2001年は新人ながら49試合に登板し、3勝2敗を記録しました。
その後は野手に転向し、2003年には一軍で本塁打も記録しています。投手と野手の両方で一軍出場した異色の経歴の持ち主です。
2008年に西武へ移籍し、2009年限りで現役を引退しました。NPB公式記録によると、投手として通算52試合で3勝2敗、防御率3.56。打者としては通算134試合、打率.193、1本塁打、5打点でした。
引退後は運送会社から高校教師へ
三浦さんは引退後、運送会社で働きながら東洋大学の夜間課程に通い、教員免許の取得を目指しました。
母校・浦和学院の恩師である森士監督の勧めもあり、高校野球の指導者になる道を選んだと報じられています。
2012年から浦和学院高校の社会科教員となり、2013年には学生野球資格を回復して野球部コーチに就任しました。
東洋大学の公式インタビューでは、プロ野球選手と教師という二つの夢があったことも語っています。プロでの経験を次の世代に伝えることは、三浦さんにとってもう一つの夢の実現だったのでしょう。
教え子や浦和学院OBに受け継がれた思い
浦和学院では、のちに西武に入団する蛭間拓哉選手らの指導にも携わりました。蛭間選手は三浦さんの死去後、恩師への感謝を語っています。
2023年11月には、浦和学院OBチームがマスターズ甲子園の全国高校野球OBトーナメント日本一決定戦で優勝。高校時代の同級生で元プロ野球選手の石井義人さんは、三浦さんのユニホームを手にしていました。
同年12月には浦和学院野球部OB会が追悼の野球大会を開催。多くのOBが集まり、三浦さんをしのびました。
プロ野球選手としてだけでなく、教師、そして高校野球の指導者として歩んだ三浦貴さん。野球と教育の両方に情熱を注いだ人生は、教え子や仲間たちの記憶に残り続けていることでしょう。
