「しば漬け食べたい」のCMで人気を集めた山口美江さん。最近テレビで見かけないと思って検索した方もいるかもしれません。
山口さんは2012年3月7日、51歳で亡くなっています。死因は心不全と報じられました。
芸能界を離れた後は横浜中華街で輸入雑貨店を営み、父親の介護経験を伝える講演活動も行っていました。テレビで活躍した頃から晩年までを振り返ります。
山口美江の現在は?2012年に51歳で死去
山口美江さんは1960年9月20日生まれ。2012年3月7日、横浜市内の自宅で亡くなりました。
翌8日、近所に住むいとこの女性が電話に出ないことを心配して訪問し、リビングで倒れている山口さんを発見しました。
所属事務所は同年3月9日に訃報を発表。2月から体調不良で通院していたものの、病状が急変したと説明しています。
死因は心不全。亡くなる前の体調は?
報道された死因は心不全です。山口さんは亡くなる前、めまいや動悸などを訴えていたといいます。
ただ、心不全を引き起こした具体的な病気までは公表されていません。更年期を気にする発言があったとも報じられましたが、それを死因と結びつけるのは適切ではありません。
亡くなるわずか数日前まで近所で愛犬を散歩させる姿が目撃されており、突然の訃報は大きな驚きを呼びました。
山口美江はなぜ芸能界を引退した?
山口さんは1987年にテレビ朝日系「CNNヘッドライン」のキャスターとして注目され、同年のフジッコのCMで大ブレーク。「しば漬け食べたい」というひと言を覚えている人も多いでしょう。
流ちょうな英語と歯切れのいいトークで「元祖バイリンギャル」と呼ばれ、バラエティーやドラマにも出演しました。
ところが1996年、人気のさなかに芸能界を引退します。当時は体調や体形の変化をめぐる報道も相次いでいました。
本人が明かした「一度休みたかった」という気持ち
2011年の「はまれぽ」のインタビューで、山口さんは引退について、雑貨店を始めるためではなく、一度休みたかったと振り返っています。
会社員として約10年、芸能界でも約10年働き、暮らしを変えてみたくなったそうです。
父親の介護を引退の理由として紹介する報道もありますが、本人の言葉を見ると、仕事や生活を見直したいという思いも大きかったことが分かります。
引退後は横浜中華街で雑貨店を経営
1998年、山口さんは横浜中華街に輸入雑貨店「グリーンハウス」を開きました。
子供の頃から輸入雑貨が好きで、小さくても自分のお店を持つのが夢だったそうです。
仕入れや流行のチェックも自ら行い、店頭に立つこともありました。テレビで見る華やかな姿とは違っても、本人にとっては念願の仕事だったのでしょう。
店は2011年5月に閉店。約13年間にわたる経営でした。
父親の認知症介護を経験。著書も出版
山口さんは16歳のときに母親を急性白血病で亡くし、その後は父親と暮らしていました。
父親がアルツハイマー型認知症を患ってからは、徘徊への対応など、介護の日々が始まります。
2006年9月に父親を看取った後、2008年には介護体験をつづった著書「女ひとりで親を看取る」を出版しました。
介護の大変さだけでなく、親子で過ごした時間を伝える活動へとつなげていったのです。
山口美江は結婚していた?夫や子供は?
山口さんは生涯独身で、子供はいませんでした。
芸能活動中には交際報道もありましたが、結婚には至っていません。
父親が亡くなった後は、横浜の自宅で愛犬と暮らしていました。
亡くなる直前まで仕事をしていた
芸能界から完全に姿を消していたわけではありません。晩年にはテレビ出演を再開し、介護について語る講演活動にも取り組んでいました。
2012年1月27日には「爆報!THE フライデー」に出演。同年2月28日には介護をテーマにしたインタビューを受けています。
3月10日には島根県で講演会を予定していました。2月28日の取材が最後の仕事となり、そのわずか1週間ほど後に亡くなったことになります。
山口美江の最期と愛犬たち
亡くなった当時、山口さんは自宅で一人暮らしをしていました。そのため「孤独死」という見出しで報じられることもありました。
しかし、近所には行き来のある親族がおり、仕事の予定も入っていました。誰とも交流のない生活を送っていたわけではありません。
葬儀は本人の希望も踏まえ、2012年3月14日に近親者約20人で営まれました。ひつぎには両親との写真や愛犬2匹の写真が納められたと報じられています。
山口美江のプロフィール
- 生年月日:1960年9月20日
- 没年月日:2012年3月7日(51歳)
- 出身地:神奈川県横浜市
- 出身大学:上智大学外国語学部
- 主な出演:「CNNヘッドライン」「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など
- 代表的なCM:フジッコ「漬物百選」
- 著書:「女ひとりで親を看取る」
山口さんは大学卒業後、エスティローダーやワーナー・ブラザースで働き、通訳を経てキャスターになりました。
テレビで一躍有名になり、芸能界を離れてからは念願の雑貨店経営へ。さらに父親の介護経験を生かした活動にも取り組みました。
「しば漬け食べたい」の一言だけでは語りきれない、いくつもの顔を持った人だったのですね。