橋本大輝さんは高校時代、一体どんなあだ名だったのか?
ちょっとだけ気になったので、あなたもこのページを訪れたはずです。
これだけスポーツの世界で活躍するアスリートなので、きっと凄いあだ名で呼ばれていたに違いないはず。
そこで今回は、橋本大輝さんの高校時代のあだ名について調べてみました。
橋本大輝の高校時代のあだ名って一体何だったの?
さすがはオリンピックで金メダルを取るだけの選手だけあって、もう昔から大の努力家で「絶対に諦めない姿勢」で体操競技にも打ち込んできたのだとか。
高校時代の神田総監督いわく、
「あいつはねえ、ほんとに諦めないんだよ」
さすが一流アスリートだけに、根っからの努力家だったんでしょう。
で、高校時代は一体どんなあだ名だったのか?
気になったので調べてみたところ…
無敵
というキーワードが出てきました。
まぁたしかに東京五輪で個人2冠を達成するほどの実力の持ち主ですので、そりゃそうかと。
ただですね、よく調べてみるとあだ名は無敵じゃなかったんです。
よく考えるとそうですよね、あだ名が無敵ってなんかおかしいですから。
橋本大輝の高校時代のあだ名は無限だった!?
そうなんです。
なんだか代わったあだ名ですけど、高校時代の彼のあだ名は無限だったんです。
あだ名が無限って...無敵よりもちょいと代わったあだ名ですよね。
名付け親は市立船橋高校・大竹監督のようで、「人一倍練習する体力があるからできる。こちらが練習を止めなきゃいけないことも」というコメントを残されているほどなので、無限に体力がある、無限の可能性を秘めている、といったところでしょうか。
実際、橋本大輝さんは幼い頃、実家が農家で幼いころから農業の手伝いをしていたようで、1袋30キロのお米を運んでいたんだとか。
ホントに無限の体力を持ち合わせている、だからこそ一流アスリートなんでしょうね。
まとめると、橋本大輝さんの高校時代のあだ名は無限でした。
本当に無限の体力と可能性を秘めた選手なので、次のオリンピックが今から待ち遠しいです。