かつてギャル雑誌『egg』で「ルミリンゴ」の愛称で人気を集めた板橋瑠美さん。
マンバメイクやパラパラ、ギャルサー全盛期を知る人には懐かしい存在ですよね。
2026年現在は39歳。芸能プロダクションの経営者やパラパラ振付師として活躍しています。
私生活では20歳で結婚し、娘さんを出産。その後2012年に離婚しました。
現在の仕事や再婚・彼氏のこと、18歳になった娘さん、さらに『egg』時代の活躍を振り返ります。
板橋瑠美(ルミリンゴ)は現在何をしている?
板橋瑠美さんは1987年6月16日生まれ。現在は「Rumi」の名前でも活動しています。
以前のように雑誌の専属モデルとして活動するだけでなく、平成ギャル文化の経験を生かした仕事が中心になっています。
芸能プロダクションの社長に
2025年4月1日、株式会社「Lumecanrriey(ルミキャリー)」を設立しました。
自ら代表を務め、タレントのマネジメントや育成、デジタルコンテンツなどの事業を展開しています。
会社が発信するのは、メイクや服装だけではない「ギャルマインド」。
ギャルグループ「Gallllllliy(ギャリー)」の活動にも関わり、次世代のギャル文化を育てています。
自分が渋谷でギャルサーに参加していた頃から20年以上。今では若い世代を支える立場になったんですね。
会社の活動はLumecanrriey公式サイトで紹介されています。
朝ドラ『おむすび』のパラパラやギャル言葉を監修
2024年度後期のNHK連続テレビ小説『おむすび』では、ギャル言葉の監修やパラパラの振付を担当しました。
橋本環奈さん主演のドラマには、平成のギャル文化が物語の大切な要素として登場します。
パラパラを実際に踊ってきた本人の経験が、ドラマ作りにもつながったわけです。
企業CMの振付やパラパラ講師としての仕事もあり、当時の文化を新しい形で伝えています。
2026年にはフォトエッセイを出版
2026年7月17日には、フォトエッセイ『考えすぎ注意報~自分で自分をアゲる大作戦~』を発売しました。
本の中では『egg』での華やかな日々だけでなく、いじめや離婚、仕事が減った時期など、これまでの経験にも触れています。
つらい出来事があっても自分で気持ちを上げてきた、その考え方を伝える一冊です。
『egg』時代からのファンには、当時の誌面だけでは分からなかった思いを知るきっかけにもなりそうですね。
現在のインスタグラムは?
現在の活動や近況は、本人のInstagram(@rumi_official_0616)でも見ることができます。
パラパラや仕事、ギャル文化に関する発信が気になる方はチェックしてみてください。
※個別投稿は表示状況によって閲覧できない場合があるため、公式アカウントへのリンクを掲載しています。
板橋瑠美は結婚していた?離婚理由や現在の彼氏は
20歳で結婚して娘を出産
板橋さんは2008年3月、一般男性と結婚しています。
当時は20歳。本人の過去のブログでは、交際を始めた後に妊娠が分かり、結婚を決意したことを振り返っていました。
同年7月22日には長女の星愛(せら)さんが誕生。
当時は『egg』の人気モデルだっただけに、結婚・出産を覚えている読者も多いのではないでしょうか。
出産後もモデル活動を続け、雑誌『EDGE STYLE』などにも登場。ギャルママとして知られるようになりました。
2012年に離婚。元旦那との別れはなぜ?
2012年11月、板橋さんは同年夏に離婚していたことを自身のブログで公表しました。
ORICON NEWSによると、夫婦で何日も話し合い、互いに納得して別々の人生を歩むことを決めたそうです。
本人は前向きな決断として伝えており、具体的な離婚原因については詳しく語っていません。
当時、娘さんは4歳。離婚後は娘さんの幸せを大切にしながら頑張る思いをつづっていました。
元旦那さんは一般の方で、離婚後の仕事や暮らしぶりは表立って紹介されていないようです。
現在は再婚した?彼氏はいる?
離婚から年月が経った今、恋愛事情も気になるところです。
2026年10月時点では、再婚や現在の交際相手について、本人からの明確な発表は見つかっていません。
ただ、恋愛のすべてをSNSで発信しているとは限りませんし、本人が話していないプライベートな部分は大切にしたいですね。
今は仕事を通じてギャル文化を広げる姿が印象的です。
娘の星愛(せら)さんは何歳?
2008年7月22日生まれの娘・星愛さんは、2026年10月現在18歳です。
高校3年生にあたる年代ですが、通っている学校や進路など、現在の生活の詳しい様子は公表されていないようです。
ママモデル時代に幼かった娘さんが、もう18歳。『egg』時代から知る人には驚きの年月ですね。
ルミリンゴの『egg』全盛期は?マンバから白肌ギャルへ
ギャルサー「小帝」からモデルの世界に
ルミリンゴさんは中学3年生の頃からギャルサークル「小帝」で活動していました。
当時は黒肌のマンバメイクに派手なファッションで、渋谷に通う日々。
2004年、16歳のときにセンター街で『egg』関係者にスカウトされたことがモデル活動のきっかけでした。
本人のインタビューによると、仲間とプリクラを撮りに行く途中で声をかけられたそうです。
別冊『manba』への登場から始まり、その後『egg』でも人気モデルとして活躍しました。
マンバからキレイめギャルへと変身
デビュー当初はマンバ系の派手なメイクが印象的でしたが、その後は白肌のキレイめギャルへと変化しました。
平成の『egg』にはさまざまなギャルのスタイルが共存していました。
ルミリンゴさんは、その変化を誌面で体現したモデルの一人だったといえそうです。
マンバ時代と白肌ギャル時代、両方を覚えているファンも多いのではないでしょうか。
『俄然パラパラ』やJulietの「Romeo」も懐かしい
パラパラ関連作品やイベントでの活躍も、ルミリンゴさんを語るうえで欠かせません。
2000年代のギャル音楽を聴いていた人には『俄然パラパラ』シリーズも懐かしいですよね。
また、2009年にデビューした音楽ユニットJulietを盛り上げたプロデュースチーム「Romeo」にも参加しました。
「ナツラブ」や「フユラブ」といった楽曲を聴くと、当時の渋谷を思い出す人もいるはず。
板橋さんはJulietの歌唱メンバーではなく、ギャルシーンから音楽活動を支える側として関わっていました。
ギャルママとして復帰した後、仕事にも変化が
21歳で出産してからもモデルとして活動し、ママ向けイベントやテレビ番組にも出演しました。
ただ、2010年代に入ると芸能界のトレンドも変化。本人はインタビューで、ギャルモデルとしての仕事が徐々に減っていった時期を振り返っています。
離婚後は新しい働き方を模索し、パラパラの再流行をきっかけに活動の幅を広げていきました。
そして朝ドラの振付や会社設立へ。
テレビから姿を消したのではなく、ギャルとして培った経験を生かす仕事へと軸足を移してきたのですね。
平成のギャルサーから『egg』、そして令和のギャル育成まで。
ルミリンゴさんの歩みは、ギャル文化そのものの変化とも重なります。
当時のファンにとっても、これからどんな活動を見せてくれるのか楽しみですね。
