男子バレーボール・サントリーサンバーズ大阪の髙橋塁選手が、2026年9月29日に自身がゲイであることを公表しました。
弟は日本代表として活躍する髙橋藍選手。兄弟で知られる人気選手だけに、大きな注目を集めています。
一方で、今回のニュースを見て「そもそもセクシュアリティはプライベートなこと。公表しなくてもよかったのでは?」と感じた人もいるかもしれません。
実際、競技をするうえで公表する義務はありません。それでも髙橋塁選手が自分の言葉で伝えることを選んだのはなぜなのでしょうか。
本人のコメントや海外バレー界の事例をもとに、公表することの意味について考えてみます。
髙橋塁はなぜゲイであることを公表した?
まず前提として、髙橋塁選手が自身のセクシュアリティを公表しなければならなかったわけではありません。
バレーボール選手としての能力や成績と、誰を好きになるのかは別の話です。
それでも本人は2026年9月29日、「僕がゲイであり、セクシュアルマイノリティの一人である」と自身のSNSで公表しました。
本人の説明によれば、幼い頃からこの部分について悩み、自分自身を否定していた時期があったそうです。
大きな転機になったのが、弟・髙橋藍選手と同じサントリーサンバーズ大阪で過ごした約2年間でした。
藍選手と話したことをきっかけに、自分の気持ちを言葉にして整理できるようになり、少しずつ「ありのままの自分でいい」と考えられるようになったと明かしています。
そして新しいシーズンを迎えるにあたり、応援してくれているファンにも「自分自身の言葉で伝えておきたい」と考えたことが、今回の公表につながりました。
つまり「公表する必要があった」というより、隠しておく必要がないと本人が思えるようになったという捉え方のほうが近いのかもしれません。
公表することで本人や周囲にメリットはある?
では、あえて公表することで本人にはどのような意味があるのでしょうか。
もちろん、これは髙橋塁選手本人にしか分からない部分もあります。
ただ、本人が「自分自身を否定していた」「ありのままの自分でいいと思えるようになった」と説明していることを考えると、公表は単なるプロフィールの追加ではなさそうです。
これまで言えなかったことを隠さなくてもよくなること、自分自身について自然に話せることは、本人にとって一つの区切りになった可能性があります。
実際、2025年に自身がクィアであることを公表したアメリカ男子代表のエリック・ショージ選手も、FIVBのインタビューで公表について語っています。
ショージ選手の場合も、自分についてオープンになり、バレーボールを中心とした人生を前に進めていくことが公表の背景にありました。
そして髙橋塁選手自身がもう一つ明確に書いているのが、同じように悩んでいる人たちへの思いです。
「自分自身を受け入れられずに悩んでいる方」にとって、自分が向き合い、言葉にすることが何かのきっかけになればうれしいという趣旨をつづっています。
トップリーグでプレーする現役選手が普段と変わらず競技を続けながら公表することで、「セクシュアリティと競技者としての価値は別」ということが自然に伝わる面もあるでしょう。
一方で、公表しない選手が間違っているわけでもありません。
誰に、どこまで話すかは本人が決めることであり、カミングアウトすること自体が正解という話ではないでしょう。
男子バレー界はゲイの選手が多い?海外では公表例も
今回のニュースを見ると、「バレーボール界ではこうした公表は珍しくないの?」という疑問も出てきます。
海外の男子バレー界には、自身のセクシュアリティを公表してトップレベルでプレーしてきた選手が実際にいます。
代表的なのが、アメリカ代表で長く活躍してきたエリック・ショージ選手です。
ショージ選手は五輪にも複数回出場した世界的なリベロで、2025年に自身がクィアであることを公表。2026年にはFIVB公式サイトでも、バレーボールが自分らしくいられる「安全な場所」だったことなどを語っています。
カナダ代表として東京五輪に出場したジャスティン・ルイ選手など、公表して活動してきた男子バレー選手はほかにもいます。
ただし、ここで「バレーボール選手にはゲイが多い」と考えるのは少し違います。
公表している選手の人数と、実際のセクシュアリティの割合は同じではありません。
そもそも公表していない人について外部から知ることはできないため、競技別に「多い・少ない」と判断できる信頼性の高いデータは確認できませんでした。
言えるのは、男子バレーの世界では、海外の代表クラスにも公表して競技を続けている選手の実例があるということです。
髙橋塁選手も今回の報告で、今後もバレーボールに尽力し、自身の成長のために頑張っていくことに変わりはないとしています。
考えてみれば、そこが一番大切なのかもしれません。
「公表する必要があるのか」という疑問に対しては、競技上はもちろん必要ありません。
ただ、本人が長く自分自身を否定してきたという背景を考えると、今回の公表は誰かに求められた説明というより、「もう隠す必要はない」と自分自身で選択した結果と考えることができそうです。
そして今後、今回のことが特別な話題としてではなく、髙橋塁選手を構成する一つの要素として受け止められていくことが、本人が語った「髙橋塁らしく」という言葉にもつながっていくのではないでしょうか。
